2008年11月28日 (金)

病気の悪化

休業状態の私ですが、時たま急に病気が悪化します。一昨日は病院行って診察しただけで、もうふらふらです。実に厄介な病気です。気持ちは下がる一方で音楽を聴くことも何の気力もありません。ですからしばらく更新も出来ないことをお知らせしておきます。

「俺と悪魔のブルーズ」

講談社に問い合わせたら「5巻の発売の予定はないとのこと」…。やはりこのまま終わってしまう可能性大ですね。うーん、残念。

2008年11月23日 (日)

楽しみが…

ブルース好きとしては今後の展開を楽しみにしていた「俺と悪魔のブルーズ」だが、どうも打ち切りな感じのようである。しばらく前までは休載だったのに、それすら見かけなくなった。これからどうなるのか?と、4巻の最後でこれでお終いではどうにもならない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%BA%E3%81%A8%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA 一応アフタヌーンには問い合わしてみようと思うが…。

2008年11月19日 (水)

ライヴ・イン・ジャパン・アゲイン

少し前にウィルソン・ピケットの日本でのライヴ盤LPの原盤を入手したことを書いたら、オーティス・クレイの日本での83年のライヴ盤がCD化されたようだ。http://diskunion.net/black/ct/detail/54C080920702

このLPは2002年のプリンスのライヴを仙台に見に行った際に、bop-gunさんに初めて御会いして教えて頂いたレコ屋さんで入手した。そのお店はブルース系が沢山あって素晴しいお店だった。あー、やっぱり大都市は違うなあと痛感した次第。

それでこのライヴ、バックはあのハイリズムでバックは完璧なのだが、歌はやはり初来日のライヴ盤と比べるとやはり初来日時の方を聴いてしまう。このライヴで一番話題になったのは、レイ・チャールズより先に「いとしのエリー」をカバーしていることだろう。何故カバーするようになったのか詳しい経過は知らない。知っている方は教えていただきたい。最初のライヴ盤を再発してもらいたいなあ。

2008年11月18日 (火)

BBのP-VINE再発LP、最後の1枚?

Bb 一連のB.B.のP-VINEからLPの再発がされた後に重量盤として発売されたシリーズの中の一枚。毎度・毎度のヤフオクで新品購入、これでP-VINEからの彼の再発LPは揃った(今後出れば別だけど)。さて、こうなると日本盤だと62年以降のABC時代か…。これがまた実に多いのだ!キングに東芝、コロムビア、MCAと会社がバラバラだ。まあ、気長に集めるしかない。これにシングルまで集めるとなると……。頭が痛くなるので止めとこう。

肝心のこのLP、60年にR&Bチャートで2位の「Sweet Sixteen」を1曲目に持ってきたというアルバム。この曲は確かにグレイトな曲でシングルではパート1と2に別れていた。最後の盛り上がりも実にお見事。結局この1曲を通して聴く為のLPと言っていいだろう。当時35歳くらいのスリムなBBの顔もLPサイズで見るとやはり良い。クラウン時代の原盤も1枚目くらいは欲しいもんです、でもお値段が万単位だと買えないなあ。

2008年11月17日 (月)

不思議な大名

ツタヤに行ったら、新刊の本が山積になっていた。なんだと思って見たら隣町(今は合併して同じ市)の殿様の話だった。この殿様の扱いが凄い特殊なのだ。http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4766211820.html毎度の引用だが、五千石で十万石の扱いで、参勤交代なしという不思議だが本当に存在したのだ。殿様のイメージは時代劇的なイメージだと、毎度の如く天守閣がそびえ、大広間に居るのがよくあるが、勿論そういう殿様も存在したが、城がない大名の方が多かったのだ。幕末には三分の一が城なし大名だったのが真相なのだ。勿論殿様は居て屋敷はあっても「陣屋」と呼ばれ城扱いはされというのが実態。通常1万石以上が大名扱いなのだが、何故かたった五千石で十万石の扱いなのか?という単純な疑問を解き明かす本。

結論から言えば、喜連川氏の先祖は足利氏だから。足利氏と言えば戦前は逆賊扱いであったが、勿論これは歴史の解釈の仕方による誤解からきている。鎌倉幕府を滅ぼして後醍醐天皇を中心として政治をしようと思ったが、武士の扱いが低いので反対派が別の天皇を擁立して、国内が二派に分かれたのが南北朝時代。現在の天皇家は足利氏が擁立した北朝だから足利が逆賊扱いされる筋合いはない。しかし、ここに戦前の軍事教育が絡んでくると、楠木正成が忠義の見本とされ、足利氏は逆賊扱いになる。到底勝ち目のない戦いで天皇の為に最後まで戦ったから、という解釈。しかし、そうなると現在の天皇家の扱いがおかしくなるのだが、そこはうやむやにして、とにかく天皇に最後まで働く者が偉いという妙な理屈で通してしまった。正に軍国主義による歴史の解釈の仕方。お陰で戦前は足利出身だと白い目で見られたそうだ。楠木正成の資料http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A0%E6%9C%A8%E6%AD%A3%E6%88%90

足利尊氏の資料http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F

勿論、軍事教育は明治以降なので、江戸時代に足利氏は源氏の子孫であり、扱いが高かったからこそ、五千石でも扱いは十万石扱いで、立派な駕籠に乗れたし、参勤交代も免除された。源氏と言えば武士の棟梁であり粗末な扱いは出来なかったのだ。

つまり、歴史の解釈なんてその時代によってころころ変わるという事です。

2008年11月16日 (日)

キング及びジミ・ヘンドリックス

我がブログの検索フレーズランキングの1位はBBのOne Kind Favorのようだ。まだ世間にはBBの新譜に関する情報に需要があるのかどうか分からないが、とにかくB.B.キングはキングのまま健在でいてもらいたい。

一般人の人にアメリカ人でキングと問えばまずキング牧師と答えるであろう。オバマ氏が次期大統領と決まったのでキング牧師が再び注目されているようだ。勿論キング牧師の業績と影響力は素直に認めるが、68年に暗殺される頃には、理想主義、非暴力だけではやっていけないという勢力が台頭しつつあったのは否定出来ない。ブラック・パンサーがJBに圧力をかけていたのも事実のようだし、とにかく公民権運動は一時期の勢いがなくなっていたような感じをうける。そして、キング牧師の暗殺で各地で暴動が勃発、これで全てが変わったとスタックスの関係者は証言する。JBは暴動しないようにコンサートを生放送する事態となり、益々アメリカ内の人種問題は複雑化してくる。

一方のBBはライヴで同胞であるはずのアフリカン・アメリカンの若者からは時代遅れのブルースマンとしてブーイングを受ける時代になっていた。しかし、クラプトンなどのホワイト・ブルースがブームとなり意外な所でファンは増えていた。その結果、BBはブルースではないとか、あれはロックだと我が国では批判されるようになってくる。アルバートは全盛期のスタックスでバックは勿論曲も提供され正に絶頂期にあった。彼のギターは多くのホワイト・ブルースマンに影響を与え、曲もカバーされた。フレディは正にクラプトンの師匠というかソロ初期のクラプトンは歌い方からギターのフレーズまでそのままコピーと言っても過言ではない。70年代後半アルバムが1位になり日本にもファンが多い元ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソン曰く「クラプトンはフレディのバッド・イミテショーンにしか思えなかった」と発言している。しかし、殆どのギタリストはクラプトンの様にブルースからの影響を受け、そしてハード・ロックが生まれる。

殆どのハード・ロックは白人がブルースから生み出したと私は思うけれど、当時唯一の例外がジミ・ヘンドリックスだった。彼は当然ブルースやR&Bの影響を受けたし、色々な歌手のバックをやって過ごしてした。しかし、アメリカでは派手なギターを弾けば首になり、イギリス行きを決める。もし、ジミがマディやハウリン・ウルフの様な歌を歌えればブルースマンになっていただろう、しかし、彼の歌では、まあバディ・ガイの様な感じで不満をかかえつつアメリカに留まってバックをこなすしか道はない。しかし、ディランの歌を聴いてこの歌でいいなら俺にも歌えると思った彼はやはり他のブルースマンとは違っていたとしか思えない。ディランの歌詞に衝撃を受けたサム・クックの様な人は居たが、歌に影響を受けたジミはやはり思考回路が凡人とは違うのだろう。SF好きでとてもシャィだったというジミはいつもギターを持っていたそうだ。大音量のアンプとエフェクトと得て、自由にギターが弾けるようになったジミは正に数々ギタリスト達に凄まじい衝撃を与えたし、マイルスやブーツイやエディ・ヘイゼル達も影響を受けた。この時期は正にキングだったジミ。しかし、ジミはあっけなく27歳で亡くなってしまう。睡眠薬とワインの飲みすぎで嘔吐物を喉に詰らせた最後。一体何故そんな事になったのかは未だに不明。とにかくジミは亡くなり彼が何を目指してしたのかは誰にも分からないままだ。ファンカデリック的なサウンドなのかマイルスと共演してフュージョンの先駆けになったのか?とにかく亡くなったので全てが謎になった。

一方のブルース界はホワイト・イエロー・そしてブラックと他人種間で構成されるバンドも数多くあり生き延びている。一番若いフレディがあっけなく亡くなり、アルバートも亡くなった。結局現役でいるのはBBだけ、最後に残ったのは色々避難されつつもやり続けたブルースマンだけだ。仕事・仕事で生き延びていているとしか思えない、とにかく不屈の人。

2008年11月15日 (土)

メリー・ホプキンに首ったけだった時代

Dsc00384 メリー・ホプキン「悲しき天使」が大ヒットした。ビートルズの設立したアップルレコードのシンデレラガール。「グッドバイ」はポール・マッカートニーが作曲した名曲。大阪万博で来日したそうですが、当時生まれたばかり私が知るよしもなし。メリー自身は何が何やらの状態だったそうです。とにかく「グッドバイ」は良い曲ですねえ。http://jp.youtube.com/watch?v=TbhEtYdZ3Wo&feature=related

メリー自身はフォークをやりたかったみたいですが。この曲も良いですねえ。http://jp.youtube.com/watch?v=vNEHb6_sdG4&feature=related

正に可憐な歌姫としか表現できない姿に歌。http://jp.youtube.com/watch?v=lb0dBVWozRo&feature=related

しかし、ビートルズは解散、アップルで2枚のアルバムを制作した後もお元気なようです。とにかく時代が生んだスターだったようです。

2008年11月14日 (金)

ベストヒットUSAでのJB

パリで100万3千人だそうです…。あー、この時もご機嫌だったようですね。まあ、久々の大ヒットが出たから当然ですが。http://jp.youtube.com/watch?v=KOhVemoCd9o

忌野清志郎さんの有名なJB逸話

Dsc00375_3 Dsc00379_4Dsc00378Dsc00377_2                             JBファンの間では有名な逸話。 忌野清志郎さんがJBの楽屋に会いに行ったら凄く機嫌が良く、翌日も来いと言われ、行ったらボディ・ガードに追い返された。その際にJBはパーマをかけている最中だったという逸話。「キミはソウルブラザーNO1だ」と言ってくれたのに、翌日のこの変わり方がJBらしい(笑)。髪型を決めるまでは絶対人には会わない。JBの発言はあてにならない。なんせ、パリで100万人のコンサートをやったと真顔で言う御方なんで。この会いに行った時のライヴは79年なので今はCD化されて聴く事が出来ます。最後の曲は当時最後に歌っていた「JAM」なのですが、JBの最後の来日最終日ライヴのまずやらないアンコールも同じ曲でした。この曲を今歌うのは、本当に最後の来日かもしれないと思いましたが、しかしその後の訃報には……。       

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    私のまだまだ知らないブルースのシングルを詳しく紹介されていらっしゃいます。ブルースの深い世界を知りたい方は必見です。